地理歴史好きひさちゃんのブログ

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宮本武蔵 巌流島の決闘 諸説あり

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皆さんご存じの巌流島の決闘ですが

あの話とは別のものがあるのはご存じでしょうか?

 

そもそも巌流島の「巌流」とはどういう意味か?

佐々木小次郎が自らを剣豪として「巌流」と名乗っていたからです

 

あれ?ここでおかしくないですか?

本当にあの話どおりなら

巌流島ではなく「武蔵島」になっていたはず

 

島の名前をつけるのは地元の人たちですから地元の人たちは知っていたのでしょう

本当の話を

 

あの話とは別の地元に伝わっているものは下記のとおりです

 

もめごとの原因は宮本武蔵の弟子と佐々木小次郎の弟子同士が「うちの師匠のほうがすごいぜ」とかいってもめごとを起こしたことからですね

そして決闘ということになりました

(ここまでは同じ)

 

宮本武蔵は先に島に到着し、弟子4人を茂みに隠れさせました

そのあとに佐々木小次郎が島に渡ろうとします

 

そこで船頭が

宮本武蔵が弟子4人と島に渡っていったから1人で行くのをおやめなさい」と

佐々木小次郎

「いったんした約束ですから行かないわけにはいきません。もし宮本武蔵が弟子たちとかかってくるのならそれは宮本武蔵の恥となるでしょう」

 

といって島に向かう

 

宮本武蔵佐々木小次郎は1対1で決闘しました

そこで佐々木小次郎は気絶してしまいます

 

そのあと

弟子4人が躍り出て佐々木小次郎を殺害

宮本武蔵と弟子4人は逃走

 

それにきづいた佐々木小次郎の弟子たちは当然激高し、宮本武蔵らを追跡する

 

宮本武蔵らは門司藩に助けを求め、かくまってもらう

 

以上

 

なんというひどい話でしょう

これはかくまった門司藩士の話からだそうです

おそらく佐々木小次郎に同情して巌流島と名付けたのでしょう

 

なので五輪書には巌流島の決闘の話は記載ありません

我々が知っているあの話は後世面白おかしく作られた話なのでしょう

 

とはいえ伝えられている話ですので決定的な証拠はないですね

なので題名は諸説ありとさせてもらいました

 

なんか巌流島の舞台があるそうで

www.cinematoday.jp

 

門司藩士の話でやったら面白いと思うけど

まあそれはないでしょうね

 

歴史はいろんな諸説があるので本当に面白いし

だまされたりしますね

 

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