昭和12年12月13日は日本軍が南京を占領した日ですね
当初の占領予定は昭和12年12月12日12時12分を予定していたそうですが1日遅れ
いわゆる「南京大虐殺」はあったかなかったか論争になってますね
いわゆる「南京大虐殺」とは
南京占領から6週間で南京市民30万人を日本軍が虐殺した事件
う~ん、正直これは信じられないなあ
上記の写真ですが「大虐殺」の最中にわざわざこんな面倒な取り締まりをしますかね?
そんなことせずに「処分」したほうが効率的だと思いますが・・・
南京に日本軍が滞在した6週間の間に30万人を殺害するには一日平均7142人を休日なしで殺害し続けなくてはなくてはならない。
最初の7,142人の殺害をしているとき残りの292,858人は食糧・トイレなしにじっと順番待ちをしていたのか?ディズニーランドでさえ一日の入場者数が4~8万人ですが・・・
南京を陥落させた松井軍司令官は、南京入城にあたり「日本軍が他国の首都を陥落させたのは史上初。国際社会も注視している。決して乱暴、放火、窃盗等を行うな。規律違反は厳しく処断する」との軍命令を発していた。それで「大虐殺」?
蒋介石も否定してますよね
南京には大虐殺などありはしない。欽将軍も軍事報告でそのことを記録している。私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。松井閣下は冤罪で処刑されたのです
南京大量虐殺は嘘です
日の丸を振る住民
南京入城時における当時の軍幹部の認識
どれも掲示板で時々引用されます
軍の上層部からして「軍紀の乱れ」を嘆かざるをえない状況に陥っていたことがわかります。しかし30万の住民を虐殺する命令を出したという証言はない
支那派遣軍司令官岡村大将も記録に残していますが
上海で報告を聞いただけで現地を見てはいません
また南京にいた国際委員会の報告も日本兵の暴行として425件あったとあります
その大部分は伝聞であり、もし仮にすべて事実だとしても425件にすぎず
「大虐殺」とは程遠いです
http://yu77799.g1.xrea.com/gunjin.html
結論
近年の国内の大虐殺あった派は市民への大虐殺が見当たらないので、敗残兵の処断が大虐殺だと主張しているようにみえます。しかし実際に敗残兵処断を実行した部隊の師団長・連隊長クラスで捕虜処刑の罪で戦犯に問われた人はいない。
あの悪名高きいわゆる「東京裁判」でも大きくは扱われていない
嘘も叫び続ければ本当のようになる一例ですね
私は真実が知りたいだけです。何故日本軍占領で多くの住民が避難した南京市の人口以上の人数が殺されたということになってるのか?
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