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忠臣蔵 赤穂事件について 本当に美談なの?

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12月14日は赤穂事件の日ですね

忠臣蔵のお話は年末恒例となっていますがあの話すべて事実なのでしょうか?

 

赤穂事件概要

江戸時代の元禄年間にて江戸城松之大廊下にて

赤穂藩藩主浅野内匠頭吉良上野介を斬りつける。

その責任を取って浅野が切腹をする。

 

その幕府の判断を不服とする赤穂藩士47人が吉良上野介に仇討をした事件

 

忠臣蔵では吉良上野介浅野内匠頭に執拗ないやがらせをしていますが

本当にいやがらせをしていたかどうかは不明です

 

なので刃傷事件のきっかけも謎のまま

ただ浅野内匠頭は問題のある人物だという話もあります

そして吉良上野介は名君であったと地元である吉良町(現愛知県西尾市)では言い伝えられています

 

浅野が名君であれば刃傷事件など起こすわけないですね

もしいやがらせをされていたとしても他にも方法はあるでしょう

刃傷事件をしてしまったらその後、自分や藩士がどうなるか想像できるでしょうに

 

その後藩士が「仇討」をするわけですが

その動機は仇討もあったのでしょうが、本当の目的は集団就職活動ですね

だから吉良上野介の首を取ったあと、泉岳寺まで9kmもの道のりをパレードしたのでしょう。宣伝目的で

 

たしかに純粋に仇討をしようとした人もいると思います

仇討にさそわれて悩んだ末に自害した萱野三平もいますので

 

ちなみに萱野三平は地元の大阪府箕面市では慕われていまして

「かやのさんぺい橋」という名前の橋もありますし、萱野という交差点名もあります

新御堂筋と国道171号線の交差点です)

北大阪急行箕面駅予定地の場所です

 

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話を戻します

集団就職活動には前例がありました

赤穂事件の30年前に宇都宮藩で起きた「浄瑠璃坂の仇討」では

いったん流罪になりますが再仕官に成功しています

他にも例はあるそうです

 

ではなぜ赤穂事件の場合全員切腹になったかというと

幕府は仇討と認めなかったからだと思います

 

過去の仇討はあくまで身内の仇討であり、主君の仇討は今回初めてでした

2か月以上も処分についてもめましたが結局仇討と認められず

 

まあもし認められて再仕官していたら忠臣蔵というお話は存在しなかったと思います

 

まとめ

浅野内匠頭が名君なら刃傷事件など起こさない

赤穂事件は集団就職活動だった

忠臣蔵の美談は後世面白おかしく作ったもの

 

でも一番悪いのは浅野内匠頭ですね

アンタの勝手でどれだけの人に迷惑をかけたのかといいたい

 

歴史を紐解くと本当に面白いですねえ

 

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