地理歴史好きひさちゃんのブログ

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戊辰戦争で無敗の庄内藩は歴史から抹殺されている

幕末最強の藩はどこでしょう?

佐賀、薩摩、長州?違います。庄内藩です

 

庄内藩とは

現在の山形県鶴岡市を本拠とし、譜代大名の酒井氏が庄内地方を治めていました。

米どころでもあり、「西の堺、東の酒田」と言われた酒田も領有

酒田には豪商本間氏がいたので、庄内藩は経済的な支援を受けていました。

 

そういう背景もあり、主力部隊は最新式の銃を装備し

軍隊を近代化させていました。

 

また歴史的に藩主、家臣、領民の結束も固く戊辰戦争時、領民の志願兵が庄内藩全軍の半数の2000人を占めました。

 

会津とは大違いです

 

chirirekishizukihisachan.hatenablog.com

 

庄内藩戊辰戦争

1868年1月 江戸市中取り締まりを担当していた庄内藩

江戸市中でテロ行為を行う薩摩に対して藩邸を攻撃しました。

これにより戊辰戦争が勃発、庄内藩会津藩とともに朝敵とされました

 

庄内、会津を擁護するために奥羽列藩同盟が結成され

東北戦争に突入しました

 

開戦当初、庄内藩は兵を南進させるつもりでしたが急遽秋田藩が官軍に寝返り

庄内藩は秋田へ進軍をします

 

旧態依然の秋田藩は洋式軍隊の庄内に歯が立たず敗走

庄内藩は連戦連勝、破竹の勢いで秋田城手前まで進出し、秋田藩主は死を覚悟したといいます。

 

庄内藩の主力部隊を指揮していたのが酒井玄蕃という人物で官軍から「鬼玄蕃」と恐れられていました。

 

急遽官軍は佐賀藩の精鋭部隊を秋田へ投入します。

雄物川を挟んで、一進一退の攻防になり戦線は1か月間膠着します

 

その状況で会津、仙台など奥羽列藩同盟の主力が次々に官軍に降伏しました。

庄内藩はさすがに単独で戦っても勝ち目はないとあきらめ

連戦連勝でしたが官軍に降伏しました

 

まとめ

なぜ幕末最強庄内藩は歴史の表舞台に出てこないのか?

官軍に戦闘で勝ったからでしょうね。

 

やたらと会津ばかりが歴史の表に出てきますが

あれは官軍がボロ勝ちだったからです。

しかも会津領民は「官軍様」とすりよってくるし。

 

薩長としては会津戦争をアピールしたくなりますね

そのせいで

東北戦争=会津戦争 みたいなイメージになってしまっています

 

そろそろ薩長史観を改めてもいい時代になってきていると思います

 

幕末の庄内藩の話をもっと詳しく知りたい方は

こちらの本がおすすめです

新徴組

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