今日こんなニュースが
なかでも人気があるのが、マンガやイラストを多用した「笑える」歴史本。江戸幕府を作った徳川家康は、じつは戦が怖くてウンコを漏らしたことがある…など「やばい」エピソードが満載のダイヤモンド社の『東大教授がおしえる やばい日本史』は、文部科学省から教育委員会へ休校要請の通知をした2月28日の売り上げは前日の2倍、29日は4倍になり、急遽2万部の重版を決定。同じシリーズの『やばい世界史』も1万部重版が決定し、シリーズ累計46万部となった。
ん?「戦が怖くてウンコを漏らした」
面白く歴史を教えるのはいいことですが、戦が怖いからではないでしょう。
三方ヶ原の戦いで敗走した徳川家康はそのときウンコ漏らしてたが正解です。
嘘を教えてはいけません。
ちなみに冒頭の有名な絵がそのときのものです。
三方ヶ原の戦いとは
元亀3年12月22日(1573年1月25日)に、遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で起こった武田信玄と徳川家康・織田信長の間で行われた戦い。信長包囲網に参加すべく上洛の途上にあった信玄率いる武田軍を徳川・織田の連合軍が迎え撃ったが敗退した。
武田信玄はわざと徳川家康がいる浜松城の目の前を通って、家康をわざとスルー。
その挑発に乗った家康が信玄を追撃にかかります。
が
なんと武田信玄は三方ヶ原で家康をまちぶせ。
そこで徳川織田連合軍がボコボコにされて
家康は命からがら、隠れながら敗走します。
なんとか浜松城に帰っても
追撃してくる武田軍に防戦する戦力もない。
そこで家康は
あえて城を開け放してノーガード
つまり「空城の計」というバクチを打ちます。
そして浜松城に到着した武田軍はそれを見て
逆に警戒して退却
所感
もしここで家康が討ち取られていたら
日本の歴史どうなっていたのやら。
家康がいなければ関東平野の開発は行われておらず。
今の東京や関東平野は東北地方の延長の片田舎で
大阪、京都は今以上の人口密集カオスとなっていたでしょう。
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