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1分で理解できる奉天会戦 わかりやすく

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奉天会戦 Wikipedia画像

3月10日は奉天会戦勝利の日ですね

米軍は東京大虐殺(空襲)をあえてこの日に選んできました

 

chirirekishizukihisachan.hatenablog.com

 

奉天会戦概要

1905年2月21日から3月10日にかけて行われた、日露戦争最後の会戦である。

奉天は現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽。双方あわせて60万に及ぶ将兵が18日間に亘って満州の荒野で激闘を繰り広げ、世界史上でも希に見る大規模な会戦となった。しかしこの戦いだけでは日露戦争全体の決着にはつながらず、それには5月の日本海海戦の結果を待つことになる。

奉天会戦 - Wikipedia

 

この奉天会戦を勝利に導いたのが

第三軍の乃木大将です。

1月1日に旅順要塞を攻略して休まずに300km離れた奉天を目指します。

 

たった4か月であの旅順要塞を攻略した軍神が北上してくるということで

ロシア軍は相当びびったそうです。

ロシア軍司令官のクロパトキンも第三軍を相当警戒していました。

 

第三軍が奉天会戦の左翼に布陣し、奉天を包囲するように進撃します。

第三軍はロシア語で「われらは奉天を攻略した第三軍であるぞ」と叫びながら

戦闘したそうです。

 

クロパトキンは第三軍に対して3倍以上の兵力を差し向けますが

第三軍はこれを撃退します。

 

3月7日未明 

ロシア軍の退路を断つべく奉天の北方へ前進します。

ロシア軍もそれを阻止すべく北方の鉄嶺へ撤退しながら猛反撃をしてきました。

 

3月10日

第三軍は砲弾を撃ちつくし、撤退するロシア軍を追撃できませんでした。

しかし日本軍は奉天を占領しました。

 

司馬史観では「乃木大将は愚将」「児玉源太郎は名将」みたいなことになってますが

事実は逆です。

児玉源太郎とは日露戦争における満州軍総参謀長のことです。

 

児玉は奉天会戦では最前線を視察もせず、現場無視の無茶な奉天包囲作戦を第三軍に押し付けていました。

 

第三軍も最初は無視してましたが本部からの指示ですのでしぶしぶ従いますが。

 

クロパトキンは最前線に視察に来ていました。

日本軍の現場無視は伝統なのかも。

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