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日露戦争 旅順港閉塞作戦を1分で理解できるよう解説 

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旅順港閉塞作戦 Wikipedia画像

2月20日は日露戦争における第2次旅順港閉塞作戦が失敗した日です。

この時戦死した広瀬中佐は戦前は軍神として有名でした。

旅順港閉塞作戦概要

1904年明治37年)2月からの日露戦争における旅順口攻撃において、大日本帝国海軍が行ったロシア帝国海軍旅順艦隊海上封鎖作戦(閉塞作戦)である。三次にわたって行われたがいずれも旅順港を十分封鎖するに至らなかった。

旅順港閉塞作戦 - Wikipedia

 

旅順港に展開しているロシア海軍の旅順艦隊とバルチック艦隊が合流したら日本海軍は勝ち目がない。ゆえに日本海軍はバルチック艦隊がやってくるまでに旅順艦隊を無力化しなければならない。

 

旅順港を塞いでしまえば旅順艦隊は出航できず無力化できると考えられ立案された作戦です。

 

第1次から第3次までこの作戦は続けられましたが失敗に終わりました。

そこで陸軍に依頼して旅順艦隊を陸から攻撃する作戦に変更しました。

それが旅順要塞攻略です。203高地が有名ですね。

 

広瀬中佐

旅順港第2次閉塞作戦に参加した人です。

撤退時、部下が見当たらず、探しているときに砲弾がさく裂して戦死しました。

その後軍神として有名になり、軍歌にもなるほどでした。

 

作戦に失敗している人が軍神になるのが日本らしいなあと思います。この人は部下を思うがあまり戦死しています。

 

他の国ではありえない評価です。

作戦は失敗し、撤退が遅れたせいで犠牲が増えたとマイナス評価をされるのが世界標準ですから。

 

まとめ

旅順港閉塞作戦は失敗、旅順艦隊無力化は陸軍が行う。

広瀬中佐が軍神となる。

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