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日露戦争をわかりやすく解説 1分で読める

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日露戦争 wikipedia画像

2月10日は日露戦争宣戦布告の日です。

当時は宣戦布告を最初にしなければならないという慣習がなかったので

仁川沖海戦旅順港奇襲など戦闘は始まっています。

 

日露戦争概要

1904年明治37年)2月8日から1905年明治38年9月5日にかけて大日本帝国ロシア帝国との間で行われた戦争である。朝鮮半島満州の権益をめぐる争いが原因となって引き起こされ、満州南部と遼東半島がおもな戦場となったほか、日本近海でも大規模な艦隊戦が繰り広げられた。最終的に両国はアメリカ合衆国の仲介の下で調印されたポーツマス条約により講和した。

講和条約の中で日本は、朝鮮半島における権益を全面的に承認されたほか、ロシア領であった樺太の南半分を割譲され、またロシアが清国から受領していた大連旅順租借権を移譲された。同様に東清鉄道旅順 - 長春間支線の租借権も譲渡された。なお、賠償金については一切の要求を認められなかった

https://ja.wikipedia.org/wiki/日露戦争

 

開戦までの状況

満州を勢力下においたロシアがさらに朝鮮半島に南下政策を取り始める。

日本は満韓交換論でロシアと交渉するが決裂します。

やむなく日本は朝鮮への南下を阻止すべくロシアとの戦争に至る。

 

日英同盟を締結し、もしロシアに加勢する国があればイギリスも参戦するという同盟で、これにより、日本対ロシアの1対1の対決に持ち込んだ。

 

日露戦争で日本は米国系ユダヤ人らから借金

リーマンブラザーズも出資してくれたらしいです。

ちなみに

日露戦争遂行のためのポンド建て日本国債は借換債を発行しながら1986年に完済

 

主な戦闘

旅順要塞攻囲戦、黄海海戦、遼陽会戦、黒溝台会戦奉天会戦日本海海戦と日本は勝利を重ねます。

 

乃木希典が英雄となりますが、欧米では立見尚文英雄とされているようです。

佐幕の雷神、日露戦争に及ぶ活躍

#中央公論 4月号の特集「誤解だらけの明治維新

中村彰彦氏の「この志士に学べ」は、日露戦争黒溝台の戦いで戊辰戦争以来の強襲によって勝利をもたらした立見尚文です。欧米では、日露戦争陸戦の最大のヒーローとされているそうです。

https://twitter.com/chukoedi/status/975726154329018369?s=21

 

日本軍は勝利を重ねますが損害も多く消耗してしまいます。一方ロシア軍は戦略的撤退をしているのでまだ余力があり、援軍が来て再度会戦となれば日本軍総崩れとなる恐れがありました。

(ロシア陸軍司令官 クロパトキンが罷免されているのでロシアも戦闘で負けを認めてはいますが)

 

講和

世界に衝撃を与えた日本海海戦大勝利の後、日本軍有利の世論の中で日本は米国の仲介で講和を進め1905年6月に講和交渉に応じます。

 

ロシア国内では敗北続きでのえん戦気分と反政府勢力の不穏な動きがありましたので。

これも日本軍の明石元二郎が後方で攪乱工作をしていたおかげでした。

 

1905年9月にポーツマス条約が締結され

日本は南樺太の領有、遼東半島の租借権、南満州の鉄道の権益を得ますが賠償金の支払いはなしでした。

 

とはいえ日本としては朝鮮半島のロシアの南下を防ぐというのが目標でしたから

朝鮮半島だけでなく遼東半島南満州からロシアの影響力を排除できたので

大勝利といっていいでしょう。

 

まとめ

日露戦争勝利の要因は色々ありますがまとめると

戦争は外交の一手段であり、最後は有利な状況で外交で勝利するということを実践したこと。

戦略目標も朝鮮半島からロシアの影響を排除することと明確であったことですね。

 

先の大戦では有利な状況でも外交交渉もせず、戦略目標もあいまいでした。

これでは勝てるものも勝てません。

 

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