地理歴史好きひさちゃんのブログ

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薩英戦争とスイカ売りなど こぼれ話

薩英戦争とスイカ売り?

なんじゃそれ?と思われるはず

その前に

薩英戦争概要

文久3年旧暦7月2日4日1863年8月15日17日))は、薩摩藩イギリスの間で戦われた戦闘。文久2年旧暦8月21日1862年9月14日)に武蔵国橘樹郡生麦村で発生した生麦事件の解決と補償を艦隊の力を背景に迫るイギリスと、主権統治権のもとに兵制の近代化で培った実力でこれを排除し防衛しようとする薩摩藩兵が、鹿児島湾で激突した。

薩摩方は鹿児島城下の約1割を焼失したほか砲台や弾薬庫に損害を受けたが、イギリス軍も旗艦ユーライアラスの艦長や副長の戦死や軍艦の大破・中破など大きな損害を被った。この戦闘を通じて薩摩国とイギリスの双方に相手方のことをより詳しく知ろうとする機運が生まれ、これが以後両者が一転して接近していく契機となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/薩英戦争

 

薩英戦争のこぼれ話

1.スイカ売り決死隊

お笑い芸人の名前みたいですね(*´ω`*)

イカ売りに扮して薩摩湾に停泊中のイギリス艦隊に乗り込み、奇襲攻撃をしかけるというものです。イギリス船に乗っていたシーボルトは「親書を持ってる一人だけが乗船してよい」と言ったにもかかわらず決死隊は無視して乗り込んできてシーボルトに思いっきり怪しまれる。

攻撃開始合図の砲撃もなく、奇襲中止の伝令が来て、慌てて撤退

さすがに島津久光も卑怯だと思ったのでしょうね

 

2.福沢諭吉の誤訳?

福沢諭吉生麦事件のイギリスの要求を翻訳したときに

「当事者を差し出せ」を「藩主の首を出せ」と誤訳したとのことですが

どうもこれは資料がないのでデマみたいです。もし誤訳が原因で戦争が始まったのなら幕府や薩摩の一次史料に記載があるはずですので

 

3.アームストロング砲はポンコツ

当時最新兵器と言われたこの大砲ですが、薩英戦争で使用するも、不発、暴発が多く

イギリス軍は発注分のアームストロング砲を全部キャンセル、そして輸出を解禁する

アメリカに輸出され南北戦争で使われ、そしてそれらを長岡藩が手に入れ北越戦争で使用した。

 

まとめ

イカ売り決死隊で笑い

誤訳はデマということを知り、また騙されていたと落ち込み

アームストロング砲による薩英戦争→南北戦争北越戦争につながることを知り驚く

 

歴史は奥深い

分け入っても分け入っても青い山

 

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