薩長同盟を実現して討幕した偉人ということになっています
しかしそれは違うみたいです
近年の研究では長州との融和を図ったのは西郷隆盛ではなく島津久光だったそうです
傾きかけた幕府との協調に限界を感じ、距離を置く。そしてもしここで長州をつぶしてしまったら次に薩摩がやられると危機感を抱く。むしろここで長州へ恩を売って連携しておこうと考えた。西郷隆盛は島津久光の方針に従って動いていた
薩長同盟の内容
交わされた約束の内容は
研究者によっては同盟ではなく薩摩藩の基本方針を確認した覚書に過ぎないという人もいます。
薩摩藩にとってはそれほど重要なものではなかったかもしれません。
一方危機にあった長州にとって仮に覚書に過ぎないものであっても意味があることでした。
どうして薩長同盟の話が大きくなったのか?
明治後期、明治政府を牛耳る薩長関係者への世間の風当たりが強くなると
薩長関係者は「明治維新は薩長のおかげだろ!」と実際以上にアピールするようになる。
薩長同盟がドラマチックに脚色されるのはそのせいだと思われます。
明治後期になっても人気が高い西郷隆盛を薩長同盟締結の立役者とすることにより
さらにアピールの効果を高めた。と思われます。
歴史の事実は1つですが解釈はいろんな人の立場と思惑によって変わりますね
その1つの例として薩長同盟を挙げました。
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