下関戦争の講和会議で突然古事記をそらんじてイギリス側をけむにまいたり
破天荒な高杉晋作ですが
12月15日なので今回は功山寺挙兵のマンガみたいなお話
功山寺挙兵概要
元治元年12月15日(1865年1月12日)高杉晋作ら長州藩内の攘夷をめざす正義派が功山寺でおこしたクーデターのこと
これにより反正義派を追放し、長州藩内で正義派が政権をにぎる
このクーデターにより第二次長州征伐が勃発する
自らを「正義派」と名乗るところがいかにも高杉晋作らしい(*´ω`*)
このまま俗論派による正義派への弾圧が続けば攘夷ができなくなってしまう
危機感を感じた高杉晋作は賛成するものがいない中、クーデターを起こそうとする
赤穂浪士討ち入りの日だからという理由で12月14日を決起の日とした
説得に時間がかかり1日遅れて12月15日
功山寺に集合と奇兵隊などに連絡しておいたが高杉晋作に従うもの伊藤博文などわずか80人ほど
俗論派との兵力差があるのでみなクーデターに躊躇していた
はじめは80人だけだったが日に日に高杉晋作のもとに人があつまり下関を占領、そして数度の戦いに勝ち、クーデターを成功させる
まとめ
高杉晋作の決意でクーデターをおこし、その後の倒幕につながった
たった一人でも歴史を変えてしまったすごい例です
当然一人だけでは俗論派との戦に勝つことはできませんが
この功山寺決起がなければ長州藩が薩摩藩と組んで戊辰戦争をすることはなかったでしょう
かりに戊辰戦争が勃発しても薩摩、肥前、土佐だけでは戦争に勝てたかどうかわかりません
(戊辰戦争で徳川を新政府から排除したことがよかったかだめだったかの判断はとりあえずここでは置いときます)
たった一人でも世界を変えられる
私もこれを肝に銘じて発信を続けたいと思います
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