地理歴史好きひさちゃんのブログ

生まれた頃から地理が好き 主に地理、道路、災害情報、歴史について発信しています

隅田川花火大会で思い出したやばいこと

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やばい

 

隅田・江東大空襲で予想以上の一般市民が犠牲になった事を

知った米軍は戦後の国際世論の避難を避ける為

空襲予定地を示したビラを散布するようになった

我が出生地八王子には8月2日未明

隅田空襲と同程度の爆弾が投下された

(続く)

https://twitter.com/ato_tokyo/status/1294119976802979841?s=21&t=tL1f91yK3K3cHVBcss3vQw

 

やがて、武蔵国はその南部の発展により東海道との交通が活発となった。また東海道諸国から武蔵国東南部を経由し、下総国常陸国(さらには陸奥国)へ向かう最短距離の交通路の重要度が増した。相模国中部からは現在の中原街道もしくは厚木街道矢倉沢往還)に近い経路で武蔵国橘樹郡都筑郡)へ入り、多摩川を丸子の渡しで渡り、武蔵国荏原郡を経て豊島郡(現在の東京都心湾岸部)を通り、隅田の渡しで下総国葛飾郡へ入った。隅田川利根川渡良瀬川のデルタ地帯は各川を渡船し下総国府へ向かった。これを受けて、771年に武蔵国東海道へ移管された[1]。東海道の経路は相模国以東はそれまでの海路で上総国へ入ることを止め、相模国中部から北上して武蔵国府に至り[注釈 10]、そこから、もしくは上記のように相模国中部から東行し武蔵国へ入り、隅田の渡しで下総国へ入り、下総国府を経て上総国府へ向う経路となった。

 

テレビで花火大会中継を視ていたら母が「隅田川とか言問橋とか聞くと未だにゾッとする」と言い出した。「橋の欄干に小さく焼き付いたたくさんの人の手を思い出す」と

東京大空襲の記憶だ。

隅田川花火大会のルーツは飢饉や疫病で亡くなった方の鎮魂のための慰霊祭だそうだ

https://twitter.com/miyuu753315/status/891259694529904640?s=21

 

常磐線の日暮里の不自然な急カーブ。もともと常磐炭鉱からの石炭を山手線経由で東海道線方向に輸送しやすい線形とよく書いてあるが、隅田川貨物駅への線形を眺めつつ考え合わせると東北・高崎線方向から水陸の大結節ターミナルの隅田川駅にスムーズにつなぐことも一要因だったのではないかと思える

https://twitter.com/harita_arayshi/status/1470992027638984706?s=21

 

江東区(こうとう-く)】

人口:52万6301人

面積:40.2㎢

東京都東部、荒川河口右岸,隅田川河口左岸に位置する特別区。縦横に運河が走る水運の便から、工場が立地。有明,新木場など埋立地を含み、臨海商工業都市を形成する。

https://twitter.com/zenkokushikucho/status/1606434563709976577?s=46&t=scZ_k2bXlaNGAn6cKMhN2g

 

作戦名はミーティングハウス1号(Meetinghouse)とされたが、このミーティングハウスというのは、東京の市街地のうちで標的区画「焼夷地区」として指定した地域の暗号名で、1号というのはその目標に対する1回目の攻撃を意味していた[67]。ミーティングハウス1号作戦では、それまでで最多の229機が出撃し、神田駅を中心に広範囲を焼失させて、神田区本所区、四谷区、赤坂区日本橋区向島区牛込区、足立区、麹町区本郷区荒川区江戸川区、渋谷区、板橋区葛飾区、城東区深川区、豊島区、滝野川区浅草区下谷区、杉並区、淀橋区空襲、死者195人、負傷者432人、被害家屋20,681戸と人的被害は「銀座空襲」より少なかったが、火災による家屋の損害は大きかった[25]。宮城も主馬寮厩仕合宿所が焼夷弾によって焼失し、局、大宮御所、秩父宮御殿などが被害にあった

 

6月29日は #佃煮の日。佃煮発祥の東京 #佃島 地名の元祖は大阪 西淀川区 #佃。1586年に徳川家康神崎川の渡河を助けたことが縁となり、1644年に摂津国佃村、大和田村の漁師が江戸の隅田川河口に移住、その地を「佃島」と名付けたとのこと。東京と大阪の佃の地理院地図と明治の迅速測図、地形図を貼る

https://twitter.com/harita_arayshi/status/1674391711014088704?s=46&t=daZFVKGDH5pojLX1iOXV5Q

 

まとめ

古代から現代までいろいろある

 

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