たまたまググってたらうれしいニュースが
累計発行部数284万部以上を記録している司馬遼太郎の『峠』が、54年の時を経て初映像化。幕末の風雲児と呼ばれた越後長岡藩家老・河井継之助を描いた小説で、それまでほとんど名前を知られていなかった河井の名、そしてその人となりを一躍世間に広めた作品だ。
林修先生も「河井継之助を大河ドラマにしてほしい」と昔テレビで言ってました。
私も賛成です。その前に映画化が来ましたか!!
河井継之助概要
文政10年1月1日(1827年1月27日) - 慶応4年8月16日(1868年10月1日))は、江戸時代末期(幕末)の武士。越後長岡藩牧野家の家臣
長岡藩の藩政改革を行いどんどん出世し、最終的には家老になる。
独自で藩の近代化を行う。戊辰戦争時には中立を宣言するが、官軍との交渉「小千谷談判」が官軍の居丈高な態度で決裂
河井継之助が「あなた方が真の官軍ならば恭順しても良いが、討幕と会津討伐の正当な理由は何か、旧幕府や会津を討伐すると言いながら本当は私的な制裁や権力奪取が目的なんだろう、長岡領内への侵入と戦闘は断る」と言った。
やむなく北越戦争開戦に至り、戦闘の指揮を執るが敗戦、戦闘による負傷で亡くなる
北越戦争概要
慶応4年5月2日(1868年6月21日)新潟県長岡市にて開戦、戊辰戦争の一部
長岡藩は最新兵器で武装しており、当初官軍を苦しめる。
「戊辰戦争で一番苦戦した戦い」と言われています。
(いやいや庄内藩との戦争は苦戦どころか勝てなかったでしょうが)
chirirekishizukihisachan.hatenablog.com
しかし数に勝る官軍が長岡藩を圧倒します
河井継之助も負けじと一度取られた長岡城を奪還するという快挙を成し遂げますが
農民一揆などもあり、ついに力尽きる
河井継之助の命運を尽かせたのは実は新政府軍の兵器ではなく、領民の一揆による抵抗による国力と作戦好機の逸失であった。また、多くの領民が処罰され長岡での継之助の評価を悪化させた一因にもなった(『新潟県史』通史編6)
まとめ
テレビで昔見ましたが河井継之助の墓は傷だらけだし、記念館の館長が「河井継之助が嫌い」という・・・(現在はどうかわかりませんが)
こんな状況じゃ大河ドラマは無理なのかなあ・・・と思ってましたが
まさかの映画化!!
長岡市役所も映画化を歓迎
やっと河井継之助の評価がよくなってきたのでしょうか
うれしい限りです
もし河井継之助が維新後も生き続けていたら明治政府で辣腕を振るったと思います
それくらいの人物です
関連記事
chirirekishizukihisachan.hatenablog.com
chirirekishizukihisachan.hatenablog.com
chirirekishizukihisachan.hatenablog.com
最後まで読んでいただきありがとうございます