1853年ペリーが浦賀にやってきましたが
沖縄にも来ています
ペリーは沖縄にやってくると全艦隊の砲門を首里城に向け米兵を上陸させました。
今も昔も変わらずやり方は海賊そのものですね。
燃料である石炭は沖縄は産出できませんので
ペリーは「米兵の自由な行動を認めろ」と要求
琉球王は認めます
その後米兵の強姦、殺人、傷害、略奪事件が発生します。
江戸ではこんなことはありませんでした。
江戸には武士がたくさんいたことを知ってたでしょうし
二回目のペリー来訪時には台場がありましたから。
お台場には大砲が置かれていました。お台場の大砲が火を噴けばペリー艦隊はひとたまりもなかったでしょう。
弱い相手にはつけあがるというのが米国の汚いところです。
とても文明国とは思えませんね。
もう1つペリーがやったことがあります
それは沖縄島の測量と地図作成です。
第二次世界大戦の時、米軍が沖縄を侵略しますが
その時にペリーが作った資料を参考に作戦を立てました。
なので米軍は水源地がどこかも把握しており、まずそこを押さえました。
まとめ
将来のことを考えて地図を作成しておく用意周到さと先見性。
そしてその資料を長い間保管している米軍の情報収集力は見習うべきものがあります。
情報収集力とは新しい情報を集めるだけでなく古い情報も保管し、いつでも使えるようにしておくことも含まれます。
情報の蓄積がなければ情報の分析ができませんからね。
公文書を改ざんしたり、捨てたりする安倍政権とは大違いです。
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