地理歴史好きひさちゃんのブログ

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北海道周辺のいろいろな歴史



いろいろある

 

三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)は、第二次世界大戦終戦後の1945年(昭和20年)8月22日、北海道留萌沖の海上樺太からの疎開者を主体とする日本の緊急疎開船3隻(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸)がソ連軍の潜水艦(L-12号・L-19号)からの攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった事件を指す

 

留萌沖の「三船殉難事件」では泰東丸乗員の遺族が遺骨の捜索を求め、海上自衛隊が何度も海域を捜索した。船体は昭和58年(1983年)にようやく見つかり、遺骨の捜索も行われたが、いまだに遺骨は見つかっていない。ロシアはいまだに攻撃したのはソ連の潜水艦だったことを公式には認めておらず、遺族への謝罪もしていない。北海道占領ができなかった「腹いせ」に奪ったとされる北方領土は、現在も不法に占拠されたままだ

 

1945年6月、日本海航路が使用可能なうちにと、日本陸軍日本海軍の間で「日本海ニ於ケル輸送作戦実施ニ関スル陸海軍中央協定」が結ばれ、石油強行輸送の南号作戦に倣った「日号作戦」の実行が決まった。短期間でできるだけ多くの戦略物資を輸送することが作戦目的で、当面は対馬海峡方面に護衛の重点を置くと定められた。北海道・樺太方面も作戦地域に含まれている。参加兵力は、海軍が海上護衛総司令部指揮下の第一護衛艦隊や第七艦隊、第901海軍航空隊などに属する駆逐艦海防艦約60隻、航空機200機ほか。陸軍が第10飛行師団・第12飛行師団の各一部や各地の防空部隊など航空機約70機、高射砲200門以上などとなっている。うち黄海方面にある兵力は、華北航路を放棄して7月上旬に配備変更された。なお、護衛部隊用の燃料不足が深刻で、消費燃料の最善活用に努めることが作戦要領にも明記されていた

 

宗谷臨時要塞(そうやりんじようさい)とは、宗谷海峡の防備のため設置された大日本帝国陸軍の要塞である。

日露戦争後の講和条約であるポーツマス条約により、日本はロシアから南樺太(サハリン)を得たが、南樺太に要塞施設を築城することは禁じられた。

 


また、宗谷海峡間宮海峡の自由航海を妨げる軍事上の措置も禁じられたため、北海道の宗谷岬に要塞施設を築城することも、外交上できなくなかった。そのため、戦時に臨時要塞の建築を予定した。

 


満州事変以降、ますます悪化する国際情勢から、宗谷臨時要塞の築城が現実味を帯びてきたため、要塞に充当する火砲と建築資材を時前に準備することとした。

 

 

国賊安倍首相は「秋の臨時国会は開きたくない」と周辺に漏らしていると北海道新聞が報じる。国会に出たくないなら、お辞めなさい。退陣しなさい。議員もお辞めになればいい。そうすれば国会に出なくってもいいのだから。なんでそんな単純なことができないの(怒)

https://twitter.com/kei_nakazawa/status/1284798546965786624?s=21

 

飛鳥時代(7世紀)頃には蝦夷は現在の宮城県中部から山形県以北の東北地方と、北海道の大部分に及ぶ広範囲に住んでいた。平時には和人と交易を行い、昆布・馬・毛皮・羽根などの特産物と引き換えに、米・布・鉄器・工芸品を得ていた。大和政権が支配領域を北に拡大するにつれて、しばしば防衛のために戦い、反乱を起こし、また和人の築いた城柵を襲撃したため、日本書紀には襲撃や討伐の記録が記録されている。大和に帰順した蝦夷の集団は俘囚と呼ばれ、関東地方へ移住させられたり、西日本で兵隊集団を勤めるなどした。

 

日本では、北海道、長野、大分などが産地として知られているが、伊豆諸島の神津島でも良質の黒曜石が産出されており、それが本州各地の遺跡で発見されているのである。つなり、わざわざ船で命を危険にさらしながら神津島から黒曜石を運んでいたのである。旧大陸、つまりヨーロッパでは海上交通は新石器時代に入ってからで、ましてや外洋公開の船が登場するのは、しばらく後のことである。日本の旧石器人は世界に先駆けて目視できる島とはいえ、外洋航海を実現していたことになる。

 

廻船文化圏(富山東部~北海道石狩管内

江戸時代に確立し、明治・大正時代に絶頂に達した(つまり、今は衰退している)。廻船寄港地の開放的な気風と農村部の穏やかな閉鎖性が特徴的。政治的には、都市部下層住民の社会党系支持と農村部の自民党支持が拮抗している(札幌における町村vs横路、新潟における田中vs稲村)。東日本で「裏日本」と呼ばれる地域そのもの。中心都市は福井→新潟→小樽→札幌とどんどん北方に移動している。筆者が「故地」と呼ぶところ。富山に行ったときの「ここ、札幌近郊じゃね」感は凄まじかった。飯の味といい海の色といいすべてが体にフィットする。

 

まとめ

冒頭の写真が東アジア情勢の真実をあらわしている

 

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